親の介護に備えて(はじめに)

私は母子家庭で就職を機に一度親元を離れたが、思いもよらず20代から同居を始めた。
当初は同居など考えてもいなかった。
皆、一度は経験するだろう親の介護の備えが(心構え)全然なく、
心も身体も疲れ果てることも想像していなかった。

もし10代の私自身に伝えることができるなら、このブログを見て備えろと
伝えたい。私自身が経験し、備えれば良かったと思うことをここに
UPしておきたいと思います。
親と同居、または介護するかもしれないとうい人に見てもらえると
少しは襲ってくるだろう、時間や体力、気力の消耗に少しは備える
事が出来、小さな笑顔になれる事と思います。

親の事が大好きで、家族の為に尽くせる人はこんな悩みはないのかもしれません。
しかし私はそんな人間力の無いので本当にしんどかったし、周囲に迷惑かけてしまいました。

はじめに
私は母子家庭で育ち、周りのような当たり前な生活は出来ないなーと思って育ってました。
家に車は無く、移動は基本自転車。バス、タクシー(近くに電車はない環境)
小さい時は体が弱く、よく熱を出して病院に何度もかかってました。
その際、車で30分かかる病院まで、バスで行って、タクシーで帰る
母親の収入では本当に苦労かけたと思う。
周りの家は車を持っているから、すぐに病院や買い物、送り迎え等
田舎の山奥で生活する家庭では当たり前の事が、我が家にとって
当たり前ではなかった。

小学高学年ぐらいになれば、どんなにしんどくてもお金のために
病院は自転車で親子2人で病院に行ってたのを思い出します。

お金がない時、親がお金を小銭をじゃらじゃらかき集めて
レジで時間かけて支払いする姿を見るのが嫌で
小銭の中から十円玉を集めて、一番近いジュースの自動販売機まで
自転車で15分走って、十円10枚投入し、返却レバーを下げて
100円玉に交換して親に渡していたのを思い出します。
(自動販売機のオーナーさんすみません)

なんとか親子で生活し高校も就学費は私が就職してから返済する制度を利用し
卒業する事ができました。

私はそんな生活を送ってたことで、周囲と同等の生活がしたい
(車もあって、最低限の食事を食べて、雨風しのげる家に住む)
と強い思い目標がありました。

そこで高校卒業し就職先は高校で一番初任給が良い県外の
大手大企業に高校選考や、就職試験に合格させてもらい
親元を離れて県外に就職しました。

この時、親は元気でまさか働けないようになるとは思ってもなく、
この時親は、何かあっても地元で生活し、私には世話にならんと
言ってたのを今でも思い出します。

今思えば、親一人、子ひとりでそれは考えが甘いんだよ!lって言いたいです。

私は早く結婚し、社宅で暮らしてたのですが、25歳の時、
親が、もう働けないと連絡がありました。

とても社宅では私と別れた嫁と子供で住んでたので
そこに親と同居するにはあまりにもプライベート空間がなく
いざ同居を始めると、嫁姑問題、夫婦関係、親子関係が歪み始めたのです。

以上親の介護を予想してなく、考え、知識、心構えが無い状態で、
親のと同居する事になってしまいました。

育てて貰ったんだから、介護するのは当たり前のことだろ!
とおっしゃる人もいると思います。ごもっともです、
だから、私も、別れた嫁も、私の子供たちも、それぞれ頑張ってくれました。
特に、別れた嫁には本当に感謝してます。

もっと世間を知り、備えがあればもう少し笑顔になれてたんじゃ無いかなー
そう思うのです。

長くなったので、次から、同居する際の問題になる点を
UPしたいと思います。

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